私がこの言葉に出会ったきっかけは、4月の日本経済新聞「私の履歴書」を読んだことでした。4月は「高田明」氏でした。ご存じの方も多いと思いますが、高田明氏は「ジャパネットたかた」の創業者で、現在はサッカーJ1のV・ファーレン長崎の社長です。
テレビショッピングでのかん高い声で有名ですが、「私の履歴書」を読んで 大変すばらしい人と感じていたところ、日経BP社から「高田明と読む世阿弥」 という本が出版されていることを知り早速購入しました。
世阿弥は能の大成者で、佐渡に流されたことがあると言う程度しか知りませんでしたがこの本でいろいろな言葉を知りました。標題の男時・女時はその世阿弥の言葉の一つです。
世阿弥の時代には、「立合」という形式で、能の競い合いが行われました。
立合とは、何人かの役者が同じ日の同じ舞台で能を上演し、その勝負を競うことです。この勝負に負ければ、評価は下がりますので、自分自身の今後を賭けた大事な勝負の場でした。
男時とは、勝負事において自分の方に勢いがあるとき、女時とは相手に勢いがあるときのことを言います。
そして、世阿弥は次のように言っています。
「時の間にも、男時・女時とてあるべし。いかにすれども、能にも、よき時あれば、悪きことまたあるべし。これ、力なき因果なり」
世阿弥は、「ライバルの勢いが強くて押されているな、と思う時には、小さ な勝負ではあまり力をいれず、そんなところでは負けても気にすることなく、大きな勝負に備えよ」と言っています。つまり、「女時の時に、いたずらに勝ちにいっても決して勝つことは出来ない。そんな時は、むしろ男時がくるのを待ち、そこで勝ちにいけ。」ということです。
確かに、人生・経営においてもいいこともあれば、悪いこともあります。
稲盛盛和塾長の言葉に「感性的な悩みをしない(すんだことに対して深い反省はしても、感情や感性のレベルで心労を重ねてはなりません。理性で物事を考え、新たな思いと新たな行動に、ただちに移るべきです」というものがあります。何か通じるものがあるのではないでしょうか。
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